92 トレノ ショック アブソーバー【カヤバ】トレノ AE91 New SR Special リア左右(※Lグレード)


 >  > 92 トレノ ショック アブソーバー【カヤバ】トレノ AE91 New SR Special リア左右(※Lグレード)

(注)この報告は『大倉山論集』第56輯に掲載されたものです。一部省略等がありますので、引用等については『大倉山論集』第56輯をご覧下さい。

(会期…平成二十一年十一月三日~二十八日)

描かれた開港地・横浜―大倉孫兵衛の錦絵展―

ごあいさつ
大倉孫兵衛は、大倉精神文化研究所を創設した大倉邦彦の養祖父です。幕末、若き日の大倉孫兵衛は、「万屋」の名で錦絵の出版・販売を始め、企業家として歩みだしました。
世の中(浮き世)を描いた風俗画を浮世絵といいます。浮世絵は、江戸時代に版画として庶民に流行しました。浮世絵の中でも、江戸時代中期以降に制作されるようになった多色摺りの浮世絵は、錦絵とも呼ばれました。浮世絵に描かれた題材には、役者、美人、文学、風景、地理、時事など多様なものがありますが、その中でも 【クーポン利用で最大1200円OFF!】DIXCEL BRAKE PAD EC Type フロント用 トヨタ ハイエース バン KDH220/KDH221/KDH222/KDH223/KDH225/KDH227用 (EC-311502)【ブレーキパッド】ディクセル ECタイプ、幕末の黒船来港以来、爆発的な人気を博したものに、新時代の文物を描いた「開化絵」と呼ばれる作品群があります。
横浜は、一五〇年前の開港により東西文化融合の地となりますが、大倉孫兵衛が家業の出版業から、やがて海外へ視野を広げて、貿易業や近代製陶業へと事業展開するきっかけとなった場所でもあります。
開港地・横浜では、多くの外国人や西洋建築などが人目を引きました。開化絵の中でも、開港地・横浜の人々や風俗、地理を主題として取り上げた作品を、特に「横浜錦絵(横浜絵、横浜浮世絵)」と呼びます。
横浜錦絵は、おもに万延元年(一八六〇)から明治五年(一八七二)にかけて制作されたとされ、 現在までに一〇〇軒ほどの版元から八四〇点あまりが出版されたことが確認されています。大倉孫兵衛が出版した錦絵の中にも八点の横浜錦絵と一〇〇点近い開化絵があります。
そこで今回は、横浜開港一五〇周年を記念して、大倉孫兵衛が出版した横浜錦絵、開化絵を展示いたします。
図書館閲覧室に横浜錦絵、開架書庫に開化絵を展示しました。錦絵を通して、当時の人々の異文化への眼差しを感じていただければ幸いです。
開催にあたり、格別のご指導、ご協力を賜りました関係各位にあつく御礼申し上げます。
平成二十一年十一月三日
大倉精神文化研究所

主催…大倉精神文化研究所 共催…横浜市港北図書館
協力…横浜開港資料館、神奈川県立歴史博物館 [siecle] シエクル MINICONα ミニコンα カローラルミオン NZE151N 1NZ-FE 07.10~、明治大学博物館、
井谷善惠氏、佐藤美子氏、刑部芳則氏
主要展示品解説

◇大倉孫兵衛と錦絵
大倉孫兵衛
天保十四年(一八四三)江戸の絵草紙屋に生まれる。二十歳の時、類焼により家財を焼失し、無一文から家業を再興します。開港地横浜で、外国人に錦絵の販売を行っている時、森村市左衛門と出会い、後に森村組の共同経営者となります。
孫兵衛は、日本橋通り一丁目に店を構え、錦絵の製造・販売をしていましたが、やがて大倉書店として洋装本の出版を始めます。辞書や教科書など実用書の出版が多いのですが、夏目漱石の『吾輩は猫である』を初めて出版したことでも知られています。
明治二十二年(一八八九)には、出版に必要となる洋紙を輸入する大倉洋紙店を開業。その三代目社長が、研究所創設者の大倉邦彦です。
家業は順調に発展しますが、孫兵衛自身は、森村組の一員として、陶磁器の製造・輸出に力を入れ、日本陶器(ノリタケ)・日本碍子・日本特殊陶業・東洋陶器・伊奈製陶・大倉陶園などの設立に係わり、日本の近代窯業の基礎を築きました。大正十年(一九二一)死去、享年七十九歳。
万屋の引き札 (複製) 東京大学総合図書館蔵
大倉孫兵衛が、「万屋」の屋号を使って錦絵販売を始めた頃の引き札(広告)です。
和漢書籍・東錦絵 問屋大倉孫兵衛
(明治十八年『東京商工博覧絵』より)
明治十八年(一八八五)頃、大倉孫兵衛は東京日本橋の橋のたもとに図のような大きな店を構えていました。東錦絵とは江戸(東京)で刊行した錦絵のことで、地方への土産物でした。問屋とありますが、出版、卸し、小売りを兼ねていました。
東京錦絵製造之図 (個人蔵)
錦絵の製造所を描いたものですが、大倉孫兵衛が出版した『大日本物産図会』の一枚であり、明治十年(一八七七)頃の万屋店内と思われます。
見立て番付 (明治十二年『諸品商業組評』より)
大倉孫兵衛は、「万屋」「万孫」などの名で錦絵を製造販売していましたが、明治十二年(一八七九)頃には、錦絵出版の見立て番付で、東の大関にランクされていました。

◇開港地・横浜
増補再刻 御開港横浜之全図(複製)
五雲亭貞秀画 丸屋徳造蔵板 慶応元―二年(一八六五―六六)頃 横浜開港資料館蔵
作品は開港六年後の横浜の様子です。外国人居留地に海岸通りやフランス波止場ができ、旧横浜新田にも商館が建ち並んでいます。山手には英仏軍キャンプが描かれています。吉田新田の左手角、煙の上がっているのが横浜製鉄所です。
横浜海岸外国館煉瓦造図(複製)
松花楼幾丸画 万孫 明治 横浜市中央図書館蔵
作品タイトルに外国館とあり、赤煉瓦造りの建物は、屋根の上にアメリカ国旗がはためいています。しかし、建物の形は、旧税関の建物に似ています。街にガス灯が並んでいることから、明治五年(一八七二)以降の作品であることが分かります。
横浜海岸各国商館図(複製)
三代歌川広重 万屋孫兵衛板 明治四年(一八七一) 横浜市中央図書館蔵

AE91 アブソーバー【カヤバ】トレノ アブソーバー【カヤバ】トレノ New リア左右(※Lグレード) 92 ショック SR Special トレノ New

両側に二階建ての外国商館が並び、通りには馬車が行き交い、賑わっています。遠く、道の向こうには横浜港に停泊する外国商船も見えます。洋服姿の外国人に混じって、和服の日本人もいますが、その手には洋傘(コウモリ傘)を日傘として差しています。
横浜英吉利西商館繁栄図(複製)
一恵斎芳幾筆 万屋孫兵衛版 明治三年(一八七三) 横浜市中央図書館蔵
英一番館ジャーディン・マセソン商会の内部を描いたものです。建物の天井は「キング・ポスト・トラス」という西洋建築の技法で造られており、建築学の上でも注目されています。
窓の外には、横浜港に停泊している外国船が見えます。この場所は、現在のシルクセンターの位置になります。
ジャーディン・マセソン商会 Jardine Matheson & Co.
Present-day Impressions of Japan(1919)より複製
神名川横浜新開港図(複製)
五雲亭貞秀画 山口屋藤兵衛 万延元年(一八六〇)二月 横浜開港資料館所蔵
横浜町のメイン・ストリート(現在の本町通り)に沿って、本町二~五丁目の町並を見渡しています。左角に見えるのが三井呉服店です。商品を満載した荷車や飴売り等々、さまぎまな人が行き交う様子が遠近法によって効果的に表現されています。開港したばかりの横浜の賑わいを感じ取ることが出来る作品です。
本牧十二天から房総を望む(複製)
五雲亭貞秀画 糸庄 万延元年(一八六〇)五月 横浜開港資料館蔵
右手には本牧十二天の神社と岬。対岸には、作者貞秀の故郷である下総の地が描かれています。
この作品は、二十八枚の作品からなる「神奈川横浜二十八景」(万延元年四月から五月にかけて出版)に収録されている一枚です。このシリーズには、昔ながらの村と発展しつつある開港地が対照的に描かれおり、開港から一年を迎える横浜の当時の姿を垣間見ることができます。
横浜売物図絵 唐物店之図(複製)
五雲亭貞秀画 大国屋金治郎板 万延元年(一八六〇)閏三月 横浜開港資料館蔵
「唐物店」は外国商品を販売する店のことで、本作品はその店頭を描くという趣向で、西洋の文物を紹介しています。右は「銅板油絵」のオランダ船、左は「油浮絵彩色」の蒸気船。手前にはガラス器や織物が並んでいます。
◇外人絵
横浜休日 亜墨利加人遊行(複製)
五雲亭貞秀画 北岡屋 文久元年(一八六一)正月 横浜開港資料館蔵
馬車に乗ったアメリカ人と犬を描いた作品です。
「横浜錦絵」の初期の作品には、この作品のように外国人の何気ない日常生活を描いたものが多くみられます。姿・形の違う外国人に対する、当時の人々の興味関心の高さが窺えます。
亜墨利加人(複製)
一川芳員画 万屋(吉兵衛) 文久元年(一八六一) 神奈川県立歴史博物館蔵
横浜名所港崎町 仏蘭西人(複製)
一川芳員画 万屋(吉兵衛) 文久元年(一八六一) 神奈川県立歴史博物館蔵
横浜名所野毛切通 和蘭陀人(複製)
一川芳員画 万屋(吉兵衛) 文久元年(一八六一) 神奈川県立歴史博物館蔵
横浜名所異人屋敷 英吉利人(複製)
一川芳員画 万屋(吉兵衛) 文久元年(一八六一) 神奈川県立歴史博物館蔵
魯西亜人(複製)
一川芳員画 万屋(吉兵衛) 文久元年(一八六一) 神奈川県立歴史博物館蔵
横浜名所弁天 亜墨利加人(複製)
一川芳員画 万屋(吉兵衛) 文久元年(一八六一) 神奈川県立歴史博物館蔵
◇双六
大倉孫兵衛出版の双六
双六には木材などでつくられた盤双六と、紙でつくられた絵双六があります。盤双六は奈良時代の宝物が多く納められている正倉院でも見つかっており、双六は古くから遊戯や賭博として人々に受け入れられていたようです。
絵双六の登場は十七世紀後期頃で、当初は手書きのものでしたが、版画で作られるようになると、次第に普及していきました。版元となる絵草紙屋にとっては主力商品でもありました。
今回の展示では大倉孫兵衛が出版した双六を三点展示しました。外国の名前や名所が描かれた双六は、遊びを通してさまざまな国のことが学べるように作られたものだと考えられます。また『鹿児嶋凱陣双六』は西南戦争を描いた双六です。公開書庫内には西南戦争を描いた他の作品も展示してありますので、そちらもあわせてご覧下さい。
また孫兵衛が出版した双六は、この三点以外に『大日本府県双録』、『東京之花源氏双六』という作品もあります。
万国名所双録(複製)
絵師不詳 大倉孫兵衛 明治二十年(一八八七) 明治大学博物館蔵
国旗名跡 五大州一覧双六(複製)
一恵斎芳幾筆 万屋孫兵衛梓 明治初期 横浜開港資料館蔵
鹿児嶋凱陣双六(複製)
大蘇芳年画 大倉孫兵衛梓 明治十年(一八七七) 古書目録より
横浜細見大双六(複製)
五雲亭貞秀画・柳亭種彦案 山本平吉板 万延元年(一八六〇)十月 横浜開港資料館蔵
江戸日本橋を振り出しに、東海道・横浜道を経て関内に入り、遊廓で「上り」という横浜案内の双六。その間に「本町」「海岸町」「波止場」「入舟」などの横浜風景、「あめりか」「おらんだ」「おろしや」「いぎりす」「ふらんす」の五か国人物、「異国人屋鋪」「異人料理」「から物」などの異国風物を配しています。遊びながら、開港直後ようやく整いつつある横浜の町の全貌がわかるように工夫されています。
◇軍隊
大日本陸軍大操練之図(原本)
一孟斎芳虎画 万屋孫兵衛板 明治 大倉精神文化研究所蔵
当時の人々は軍隊の訓練などにも非常に興味を持っており、錦絵の題材として多くの作品が描かれています。本作品に年代の記載は見られませんが、「大日本陸軍」という題や軍隊の服装、版元名として記載されている「万屋孫兵衛」が明治十年代にはほとんど見られないことなどから、おおよそ明治五・六年(一八七・三)から明治十年(一八七七)までの間に作成されたものだと考えられます。
なお本作品と同じ版木を用いたと思われる「徴兵まぬかれはやわかり」という作品の存在を確認していますが、 その詳細についてはわかっていません。
大倉孫兵衛が出版した調練の図
「仏蘭西英吉利西三兵大調練之図」、「騎兵体歩兵体散兵大調練之図」、「騎兵体歩兵体大調練之図」の三作品は同じ構図であり、同じ版木を用いたものとされていますが、よく見てみると違いがあります。まず色彩や題名が異なっているのは見ての通りですが、版元名の記載も作品ごとに少しずつ変化しています。「仏蘭西英吉利西三兵大調練之図」では「玉明堂」という記載ですが、「騎兵体歩兵体散兵大調練之図」では「日本橋通一丁目 板元 万屋孫兵衛」が加わっています。そして「騎兵体歩兵体大調練之図」では、「日本橋通一丁目 大倉孫兵エ」という記載になり、「玉明堂」は消えています。また兵隊の服装、旗なども異なっていることが確認できます。
仏蘭西英吉利西三兵大調練之図(複製)
一魁斎芳年筆 玉明堂 慶応三年(一八六七) 神奈川県立博物館蔵
騎兵体歩兵体散兵大調練之図(複製)
一魁斎芳年筆 玉明堂/万屋孫兵衛 慶応三年(一八六七) 横浜市中央図書館
騎兵体歩兵体大調練之図(複製)
一魁斎芳年筆 玉明堂/大倉孫兵エ 慶応三年(一八六七) 個人蔵
◇鉄道
東京汐留鉄道御開業祭礼図(複製)
三代歌川広重 万屋孫兵衛板 明治五年(一八七二) 個人蔵
鉄道は当時の人々にとって大きな関心事であり、多くの作品に描かれた題材でした。
鉄道建設は明治三年から着手され、明治四年(一八七一)にはアメリカ人建築家ブリジェンスによって設計された横浜駅(現在の桜木町駅)、新橋駅(当初の駅名は「汐留」だったが、明治五年に改称。なお、現在の新橋駅とは異なる。)が完成します。
そして明治五年五月、横浜と品川八ツ山下間に日本最初の鉄道が開通して仮営業を開始、同年九月十二日には新橋まで延長され、新橋―横浜間が正式開業します。この日には明治天皇臨席のもとに鉄道開業式も行われました。絵の中央部、「御車」と書かれ、御簾が降ろされた車輌に明治天皇が乗車しています。
東京名所之内 新橋ステンション蒸汽車鉄道図 (複製)
三代歌川広重 万屋孫兵衛板 明治五・六年頃 神奈川県立歴史博物館蔵
鉄道開業の翌年、明治六年からは、日本初の貨物列車の運行が一日一往復で開始されました。作品は、イギリス製の貨車に荷物を積み込んでいるところです。新橋―横浜間の所要時間は当初五三分で、機関車・客車・貨車は全てイギリスからの輸入でした。奥に見える新橋ステーションは、木造石張り二階建ての西洋建築の駅舎でした。この駅舎は、関東大震災で焼失します。
東京八ッ山下海岸蒸気車鉄道之図(複製)
三代歌川広重 万屋孫兵衛板 明治六年(一八七三)頃 神奈川県立歴史博物館蔵
作品をよく見ると、蒸気機関車が四角い箱になっています。実物を見ないで描いたことが分かります。汽車は品川ステーションを過ぎて、まもなく右下に少しだけ描かれた八ッ山橋の下へさしかかるところです。八ッ山橋は、鉄道開通のために東海道に架けられたわが国初の跨線橋で、当時は木橋でした。左側手前の二頭立て馬車は、東京―横浜間で明治二年に開業した乗合馬車です。洋服姿の外国人、普及し始めたばかりの人力車なども描かれています。
横浜海岸鉄道蒸気車図(複製)
三代歌川広重 万屋孫兵衛板 明治七年(一八七四) 横浜市中央図書館蔵
「横浜錦絵」の出版は、鉄道開通により終焉を迎えます。作品には、横浜の海岸を走る蒸気機関車、その周りには洋服を着た各国の人々、海には万国旗を掲げた何艘もの外国商船、一枚の絵の中に人気のテーマを数多く盛り込んでおり、最後を飾るにふさわしい作品です。
◇開化絵

92 トレノ ショック アブソーバー【カヤバ】トレノ SUV AE91 New HR82S SR Special リア左右(※Lグレード)

・風俗
因循開化 流行撃剣会(複製)
昇斎一景 万孫 明治六年(一八七三) 神奈川県立歴史博物館蔵
この絵が描かれた頃、武芸を見せ物として行う撃剣興行が流行っていました。作品の中では新旧の文物が擬人化され 【カペラワゴン/カーゴ ブレーキローター】Brembo GVER 90/10~97/10 フロント用 09.5252.10、剣術やなぎなた、弓などで試合を行っています。その様子は動物を擬人化して描いた「鳥獣戯画」のような味わいと面白味があります。また左右に描かれているのは弘法大師と不動明王で、これは明治六年に東京で成田の不動尊と高野山の弘法大師像のご開帳が行われていたことに由来するようです。
大日本婦人束髪図解(複製)
松斎吟光 大倉孫兵衛 明治十八年(一八八五) 個人蔵
束髪とは、洋風ヘアスタイルを日本風にアレンジしたものです。明治十八年には婦人束髪会が設立され、束髪を奨励するパンフレットや版画などが数多く出版されました。この作品もそのうちの一つと考えられます。絵に書かれた解説を読むと、従来の日本髪にくらべて 、束髪は衛生的、経済的で、利便性も高く、また束髪をすることによって、血液の循環が改善され、頭痛やめまいも取り除くことができると書いてあります。しかし、新しい風俗である束髪を取り入れている女性に対しては、「おてんば」「はねあがり」といった批判もあったようです。
・博覧会と上野公園
博覧会諸人群集之図 元昌平坂ニ於テ(複製)
昇斎一景筆 万孫 明治五年(一八七二) 神奈川県立歴史博物館蔵
明治五年三月十日から二十日間、江戸時代に昌平坂学問所であった湯島の聖堂において、博覧会が開催されました。作品中央を見ると、名古屋城の金のしゃちほこも展示されていたことがわかります。金のしゃちほこは、この博覧会を描いたどの作品にも必ず描かれており、最大の目玉であったようです。他にも「源頼朝」の掛け軸や、豊臣秀吉の書状、また珍しい動植物が数多く並べられ、会場内はそれらを見物する人々であふれています。
上野公園地 博覧会御開業図(複製)
小林進斎 大倉孫兵衛 明治十年(一八七七) 神奈川県立歴史博物館蔵
明治十年八月から上野公園で行われた第一回内国勧業博覧会を描いた図です。内国勧業博覧会は政府の殖産興業政策として企画されたもので、日本各地の特産物などを展示し、産業の発展と技術の向上をはかるものでした。博覧会は十一月三十日まで行われ、大きな賑わいを見せました。
なお、大倉孫兵衛がこの博覧会での販売を目的に出版したのが、日本全国の特産物や産業を描いた『大日本物産図会』です。
大日本物産図会
三代歌川広重(一立斎広重) 大倉孫兵衛 明治十年(一八七七)
(復刻…一立斎広重『浮世絵集成 大日本物産図会』 光彩社 昭和五十四年)
『大日本物産図会』は、明治十年八月に上野公園で行われた第一回内国勧業博覧会のために孫兵衛が出版したものです。北海道から九州にいたる全国各地の特産品や、その生産に携わる人々の姿がいきいきと描かれ、明治期における日本の伝統的な生活ぶりを垣間見ることが出来る貴重な資料でもあります。また、その出版により得られた特産物の知識は、その後の孫兵衛が海外との貿易を志す上で大いに役立ったとされています。
物産図会の総数は一二〇図と考えられていますが、現在確認されているのは一一八図で、残りの二図については今も発見されていません。展示してある『大日本物産図会』は、昭和五十四年(一九七九)に光彩社が原寸の二倍サイズで複製・刊行した全一一〇図の復刻版です。
東京名所之内 上野公園地真景之図(複製)
梅寿国利筆 大倉四郎兵衛 明治十四年(一八八一) 明治大学博物館蔵
明治十四年三月一日から六月三十日まで上野公園で行われた第二回内国勧業博覧会の様子を描いたもの。色鮮やかに描かれた桜は、毎年春になるとお花見をする人で賑わう今の上野公園と通じるものがあります。後ろに見える建物は美術館です。この美術館は鹿鳴館と同じくお雇い外国人のコンドルが設計したもので、明治十一年(一八七八)三月に着工し、同十四年一月に竣工しました。その後、博覧会を経て、明治十五年(一八八二)三月に上野博物館として開館します。これは現在の東京国立博物館につながるものですが、作品で描かれた建物は関東大震災で倒壊してしまいました。
上野不忍共同競馬会社 開業式之図(複製)
楊洲周延筆 大倉孫兵衛 明治十七年(一八八四) 明治大学博物館蔵
明治十七年(一八八四)、上野に競馬場が開設されます。同年十一月一日からの三日間は開場式を兼ねた競馬が催され、そこには明治天皇も臨席していました。ただし、この絵の右端に記載されている届出の日付を見ると「明治十七年十月廿四(二十四)日」なっており、この作品自体は開業式の様子を想像して描かれたものだと考えられます。空に浮かんでいる「タコ」や「牛」は、花火の中に仕込んで打ち上げられた玩具で、祝賀の式典などの際にはこうした仕掛けで華やかさを演出していたようです。
競馬場でのレースは春と秋に行われていましたが、当時の競馬は見せ物で、馬の改良を目的とした軍事的意味合いも強く、また現在のように馬券の販売等は許されていませんでした。そのため次第に資金繰りが悪化し、長くは続きませんでした。上野の競馬場は、明治二十五年(一八九二)に廃止されますが ズーム ダウンフォースサス 1台分 アルデオ SV50G 3SFSE H10/7~ 2WD 2.0L サスペンション、

92 トレノ ショック アブソーバー【カヤバ】トレノ AE91 New SR Special リア左右(※Lグレード)
【Dotty】 LUXUR-SPOLT シートカバー アウトランダー (7人乗り)にお勧め! CW5W、CW4W、CW6W系 H18/10→H24/10 品番:4056!Force-Design フォルスデザイン リアフェンダー ハイブリッド・インナーフェンダー カラー:キャンディアラモアナレッド サイズ:ショート タイプ:スリット有り 素材:平織りカーボン CB1300SF (SC54) 03-.ブリヂストン PORENZA ポテンザ RE-71R サマータイヤ 205/50R16 WEDS WedsSport ウェッズ スポーツ SA-20R ホイールセット 4本 16インチ 16 X 6.5 +38 4穴 100,【店舗取付サービス】【BM レガシィセダン B4 エスティアイ】レガシィ BM フロントアンダースポイラーA-C型 (Sパッケージ用)

92 トレノ ショック アブソーバー【カヤバ】トレノ AE91 New SR Special リア左右(※Lグレード)

、そのコースは不忍池の遊歩道として、現在もその名残をとどめています。
・銀行
東京第一大区蠣殻町弐町目第五国立銀行并商行会社新築之図(複製)
三代歌川広重 万屋孫兵衛 明治八・九年(一八七五・七六) 神奈川県立歴史博物館蔵
明治五年(一八七二)に明治政府は近代的金融機関を設置するために、国立銀行条例を制定し、全国に国立銀行が設置されました。第五国立銀行は明治六年に開業し、その後、浪速銀行や帝国銀行など、さまざまな銀行との吸収合併を重ねていき、現在の三井住友銀行へとつながっていきます。
蠣殻町は現在の東京都中央区日本橋蛎殻町で、安産祈願で有名な水天宮があることでも知られている所です。この作品中央の建物の間からも「水天宮」と書かれた幟が小さく見えています。
東京駿河衛国立銀行繁栄図(複製)
三代歌川広重 大倉孫兵衛板 明治六年(一八七三) 神奈川県立歴史博物館蔵
駿河衛(駿河町)は現在の東京都中央区日本橋室町にあたります。「駿河町」は富士山の眺めが素晴らしかったことから用いられていた地名で、作品中央にはそれを物語るように富士山の姿が描かれています。また両端に描かれている越後屋呉服店は今の三越本店で、その間にある通りは多くの人々や乗り物で賑わっています。
そして右側奥にある洋風建築は為替バンク三井組の建物です。為替バンク三井組は天和三年(一六八三)に開業した三井両替店をその前身とし、明治九年からは日本初の私立銀行、「三井銀行」として営業を開始します。
建物は洋風三階建てで、屋根には青銅製のしゃちほこが乗っているのが特徴でした。東京の名所として、錦絵にも数多く描かれています。
・風景、街並
東京築地海軍省軽気球試験并ニ従西洋館眺望図(複製)
芳虎 大倉孫兵衛板 年不詳 明治大学博物館蔵
洋館が建ち並ぶ中、空を優雅に舞う気球を外国人たちが眺めているという、あたかも異国の地を描いたような構図は、当時築地に外国人居留地があったことに起因すると考えられます。
作品では気球が複数個描かれ、またその中には人が四人も乗っていることなどから、想像で描かれたものだと思われます。実際の気球は、東京築地にあった海軍省の練兵場で明治十年五月に初めて浮揚実験に成功しました。気球は西南戦争での偵察や連絡などの軍事使用を目的に開発が進められたものでした。その開発の中心となったのが海軍の機関士であった馬場新八で、彼は最初の浮揚実験で自ら気球に搭乗しました。
なお、本作品は慶応三年(一八六七)に出版された「亜墨利加国」という作品の版木を用いて、後年に刷られたものだと思われます。
第一大区従京橋新橋迄煉瓦石造商家繁昌貴賤藪沢盛景(複製)
曜斎国輝 万屋孫兵衛梓 明治七年頃(一八七四)個人蔵
現在の銀座通り(中央通り)を描いたもので、大胆な遠近法を取り入れた構図が印象的な作品です。銀座通りは、日本で初めて馬車道と人道とを分けた通りです。整然とした町並みや、人々で賑わう通りの様子は現在の銀座を彷彿とさせるものがあります。このあたりは明治二年(一八六九)、同五年(一八七二)と短期間で二度の火災に見舞われます。そのことから政府は銀座を煉瓦造の街として再建することにしました。また銀座は鉄道が通る新橋、経済の中心地日本橋の間にあるという地理的な面でも、都市としての整備が求められていました。
中央奥には赤地に白で「工」と書かれた工部省の旗が見えます。工部省は明治三年(一八七〇)に殖産興業の推進のために設置され、官営事業として鉄道、造船、製鉄など幅広い事業を行っていました。
・憲法発布
憲法発布臨時観兵式行幸桜田御出門之真図(複製) 松斎吟光 大倉孫兵衛 明治二十二年(一八八九)二月 明治大学博物館蔵
明治二十二年二月十一日の大日本帝国憲法発布の日、宮中での式典の後、青山練兵場(現在の明治神宮外苑)では観兵式が行われました。観兵式とは天皇に対して兵を披露する式のことで、作品は天皇の一行が桜田門を出て、青山での観兵式に向かう様子を描いています。馬車に乗っているのは天皇 スタッドレスタイヤ ダンロップ ウインターマックス01 WM01 185/70R14 88Q & レイバーン GBX 5.5-14 タイヤホイール4本セット 185/70-14 DUNLOP WINTER MAXX 01 WM01、皇后と侍従長の徳大寺実則です。
作品の印刷・出版の日付を見てみると、明治二十二年二月十三日印刷、十八日出版となっており、憲法発布直後のものであることがわかります。
憲法発布 青山観兵式真図(複製)
探景拝画 大倉孫兵衛 明治二十二年(一八八九) 個人蔵
青山練兵場で行われた観兵式を描いたものです。青山練兵場のあった明治神宮外苑には「御観兵榎」が植えられており、この憲法発布観兵式や、後に行われた日露戦役凱旋観兵式の際、天皇の御座所が置かれた場所として、その歴史を今に伝えています。
「憲法発布臨時観兵式行幸桜田御出門之真図」と比較すると、描いた絵師は異なるものの、一行の着る洋服や天皇の乗る馬車などの描写が非常によく似ています。
・靖国神社
九段坂上靖国神社庭内真図(複製)
探景写 大倉孫兵衛 明治二十一年(一八八八) 個人蔵
靖国神社の始まりは、明治二年(一八六九)に明治天皇によって建てられた東京招魂社で、明治十二年(一八七九)に「靖国神社」と改称されて現在に至ります。靖国神社には幕末から明治維新、戊辰戦争、西南戦争、その後の戦争で亡くなった人々が祀られています。
この作品は靖国神社の庭園を描いたものです。古くから神社では、神の心を慰めるための庭園と池を設けることが習わしで、靖国神社の庭園も明治の初めに造成されました。庭園には観賞用の建物や椅子などが設けられ、訪れた人々を楽しませていたようです。
庭園は平成十一年(一九九九)に調査・復元が行われ、現在も当時の風情を味わうことが出来ます。
東京九段坂上 靖国神社真景(複製)
井上探景 大倉孫兵衛 明治二十年(一八八七) 神奈川県立歴史博物館蔵
靖国神社を描いた作品。題名の「真景」は「実際の景色」を意味します。作品の日付が明治二十年十二月となっていることから、中央に描かれた鳥居は同年同月に落成した第二鳥居だと考えられます。しかし、人々が着用している服は明治二十年には着用されなくなっているものであり、「真景」とはいうものの必ずしもありのままを描いたわけではないようです。第二鳥居は大阪砲兵工廠で明治十九年(一八八六)七月から製造が開始され、その材料は諸藩から集められた大砲などでした。『靖国神社誌』によると、鳥居の総工費は当時の金額で約一万六千円で、そのうちの一万五千円は皇室から下賜されたようです。また鳥居の建設には陸軍大臣であった大山巌、陸軍次官で後に首相ともなる桂太郎といった多くの軍人が係わっており、鳥居の両側に描かれているのも、これらの人々であると考えられます。なお、この第二鳥居は、現在でも青銅製の鳥居としては日本一の大きさを誇っています。
・西南戦争
明治小史年間紀事 鹿児島県下賊徒蜂起之事件(複製)
大蘇芳年 大倉孫兵衛 明治十年(一八七七) 個人蔵
明治十年一月、明治政府は鹿児島の弾薬製造所にあった武器や弾薬などを、大阪へ移送しようとします。作品右側に描かれている黒い船は、弾薬の移送のために政府が送った三菱汽船会社の赤龍丸です。
作品は鹿児島県士族たちがそのことに反発し、掠奪を行った事件を描いたものです。当時、陸軍が使用する武器や弾薬は鹿児島の製造所で、ほぼ独占的に製造・供給されていました。しかしそれらは、旧薩摩藩が持っていた技術や材料が基礎となったものであり、それらを奪われる形となった旧薩摩藩士らは、激しく抵抗したのでした。 この事件をきっかけとして、西南戦争は始まります。
解説には、暴徒化した兵たちを西郷が大義をもって諭したものの、彼らは収まらず、その後、西郷らは士族たちを集めて政府軍と激戦を繰り広げていくこととなり、維新の功臣でありながら、悪名を後世に残すのは惜しいことだと書いてあります。
鹿児島城激戦ノ図 (複製)
楊洲斎周延 大倉孫兵衛 明治十年(一八七七) 明治大学博物館蔵
熊本、宮崎を転戦した西郷の軍勢は、明治十年九月に最期の地、鹿児島へ入ります。 作品は鹿児島城を占領している官軍と、西郷隆盛らの軍勢が対峙している様子を描いたものです。その時の西郷は「死物狂いの猛勢」で激戦を繰り広げ、鹿児島における状況は一時、西郷軍へと傾き、市中の制圧にも成功しますが、その後続々と集結した政府軍によって西郷軍は追い詰められていきます。
しかし九州で戦争が行われている同じ頃、東京では内国勧業博覧会が華やかに行われていたのでした。
西南戦争は人々の関心を集め、それに関連した出版物も多く販売されます。錦絵は明治に入り不振を極めていましたが、事件を視覚的に伝える戦報錦絵として、その人気を回復します。また西南戦争は、戦況についての情報を得ようとする人々の欲求と相まって、さまざまなメディアの発達にも大きく影響を与えたのでした。
◇版元大倉孫兵衛から大倉書店へ
鳥追阿松海上新話
久保田彦作著 仮名垣魯文閲 周延画 出板大倉孫兵衛 明治十一年(一八七八)二月
明治十年暮から一ヶ月間十四回にわたり『かなよみ新聞』に連載された、「鳥追ひお松の伝」をもとに大倉孫兵衛が出版した合巻小説です。この合巻小説は記録的なヒットをとばし、以後、連載小説が数多くつくられる契機となりました。
同作品内には、錦絵製造の技術を利用した多くの挿絵がつづられています。これは、大倉孫兵衛の版元としての新たな活動であるとともに、洋装本を出版する大倉書店への第一歩と捉えることができるでしょう。
出版販売書目 第二号
大倉書店 明治二十四年(一八九一)三月
明治二十四年に大倉書店から刊行された出版物目録です。その内容をみると、和装本のほかに洋装本も紹介されています。錦絵をおもに製造していた版元から、洋装本を数多く出版する大倉書店への発展を物語る興味深い資料です。
裏表紙には、大倉孫兵衛が錦絵製造を行っていた店名「錦栄堂」や、その際に使用していた商号「カギマン」が印刷されています。
参考文献
(1)樋口弘『幕末明治の浮世絵集成』 味燈書屋 一九五二年十月十日改訂増補
(2)丹波恒夫『横浜浮世絵』 朝日新聞社 一九六二年二月二十五日
(3)丹波恒夫『錦絵に見る明治天皇と明治時代』 朝日新聞社 一九六六年四月二十日
(4)野々上慶一編『文明開化錦絵集』 垂水書房 一九六七年
(5)神奈川県立博物館『特別展 横浜浮世絵と長崎版画 図録』 神奈川県文化財協会 一九七六年十月三十日
(6)小西四郎『錦絵幕末明治の歴史(一)~(十二)』 講談社 一九七七~七八
(7)神奈川県立博物館編『集大成 横浜浮世絵』 有隣堂 一九七九年十二月十三日
(8)R.レイン「標本・総図版 三代広重*開化期の名作『大日本物産図会』一一八図」(『季刊浮世絵 冬楓号 〈第十八年第一号〉№80』 画文堂 一九八〇年一月五日)
(9)『明治期銅版画 東京博覧図 全三巻 東京商工博覧絵・東京名家繁昌図録・東京盛閣図録』 湘南堂書店 一九八七年二月二十五日
(10)横田洋一編『横浜浮世絵』 有隣堂 一九八九年五月三十日
(11)国立史料館編『史料館叢書 別巻一 明治開化期の錦絵』 東京大学出版会 一九八九年三月三十一日
(12)神奈川県立博物館編『神奈川芸術祭 浮世絵名品五〇〇選―春信・清長・歌麿・北斎・広重―』 神奈川県立博物館 一九九一年十月五日
(13)日本銀行金融研究所『委託研究報告№4(1)日本銀行所蔵・貨幣関係錦絵目録』一九九一年三月
(14)文化庁、東京国立博物館、京都国立博物館、奈良国立博物館監修/坂本満、戸枝敏郎編著『日本の美術 第三二八号 横浜版画と開化絵』 至文堂 一九九三年九月十五日
(15)品川区立品川歴史館編『品川歴史館所蔵 浮世絵図録』 品川区立歴史博物館 一九九三年三月
(16)絵画情報史研究会「幕末・維新期の風聞集等にみられる瓦版・錦絵類の基礎的研究―民衆の情報収集・分析・活用に関する研究― 上・中・下巻」(『トヨタ財団助成研究報告書 平成六年度(研究助成番号 九三―Ⅱ―〇五一)』絵画情報史研究会 一九九四年十一月三十日 )
(17)匠秀夫『日本の近代美術と幕末』 沖積舎 一九九四年九月二十日
(18)和田維四郎・石井研堂著、近世文芸研究叢書刊行会編『近世文芸叢書 第一期文学篇 九 一般 二 嵯峨本考、江戸物語、錦絵の改印の考證、

92 トレノ ショック アブソーバー【カヤバ】トレノ AE91 New SR Special リア左右(※Lグレード)

、地本錦絵問屋譜』 クレス出版 一九九五年五月二十五日
(19)横浜開港資料館編『横浜開港資料館所蔵 瓦版・浮世絵目録(一九九六年十二月末現在)』 横浜開港資料館 一九九七年三月十日
(20)神奈川県立歴史博物館『横浜浮世絵と空とぶ絵師五雲亭貞秀』 神奈川県立歴史博物館 一九九七年十一月一日
(21)佐々木亨「『鹿児島実記一夕話』と『鳥追阿松海上新話』 ―大倉孫兵衛の戦略―」(『国文学研究 第一二七集』 早稲田大学国文学会 一九九九年三月十五日)
(22)宗像盛久編『横浜開化錦絵を読む』 東京堂出版 二〇〇〇年一月三十日
(23)川崎市市民ミュージアム編『明治の版画―岡コレクションを中心に―展』 川崎市市民ミュージアム 二〇〇二年二月九日
(24)高野弘之「資料 明治大学博物館 刑事部門所蔵錦絵等絵画資料目録」(明治大学博物館事務室編『明治大学博物館研究報告 第十号』 明治大学博物館事務室 二〇〇五年三月三十一日)
(25)品川区立品川歴史館編『品川歴史館所蔵 浮世絵図録Ⅱ 浮世絵 品川めぐり』品川区教育委員会 二〇〇六年三月
(26)『大倉山論集』第五十四輯 大倉精神文化研究所 二〇〇八年三月二十五日
(27)国際浮世絵学会編『浮世絵大事典』 東京堂出版 二〇〇八年六月三十日
(28)佐々木亨『明治戯作の研究 ―草双紙を中心として―[早稲田大学モノグラフ二一]』 早稲田大学出版部 二〇〇九年十月一日
{yahoojp} {okuraken.or.jp}
{yahoojp}jpprem01-zenjp40-wl-zd-17791